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2009年12月25日 (金)

韓国牧師と「召命」

 牧会者や宣教者になるために「召命体験」が必要であるというのは、聖書的・神学的に見て明らかに行き過ぎた誤りである。「牧師の召命」という概念は、牧師たちが自らを旧約時代の預言者になぞらえ権威づけようとしたためにできたものにすぎない。
 今日、神の言葉は預言者・聖書記者たちを通して聖書としてすでに与えられており、教師はそれを解説するだけである。教えることも牧することも、信じる者それぞれに分け与えられる御霊の賜物のうちの一つであり、他より優れた特別なものではない。

 クリスチャンはそれぞれがキリストの弟子であり、弟子であるならば召しに個人差はあっても優劣はない。牧会には「召命体験」が必要で、現在牧師になっている人々が皆それを受けているとするのは、権威主義と身分階級差別に陥る危険な教理である。
 そのような、牧師の権威主義や独裁支配体制、神の前に立つべき兄弟姉妹間で階級をつくるような傾向は、韓国出身の自称牧師・宣教師たちが持ち込んだ忌まわしいものである。これを一刻も早く駆逐しなければ、日本の社会と教会に明日はあるまい。

 だから、韓国系のカルト教会におけるように、「牧師」が権力を集中把握して恐怖による独裁支配・専制君臨体制を築いたりする必要はない。それはナチズムの道である。主イエスも弟子たちの間で「誰が偉いのか」を決めようとすることを戒められた。
 「牧師」が霊能者気取りで、教会の地下室などの閉ざされた空間や、あるいは逆にレストランなどの公の場所で、信者や献身者に対して人権侵害にあたる「悪霊追い出し」を行う場合があるようである。これらのことは韓国式の土俗カルト宗教に属する。

 そのような場合には、録音証拠をとっておいたり、その出来事のあった日時を記録して、マスコミや役所などの公的機関に情報提供できるよう備えておくべきである。あるいは、その場で電波が通じる地上に逃れ出て助けを求めるのも非常に賢明である。
 韓国カルト教会では自分の身を守る術を心得ていなければ生き残ることはできない。もちろん、そのようなカルト教会に一刻たりとも籍をおいておく必要はない。信仰生活というものは、ヤクザの出入りのような犯罪に巻き込まれながらするものではない。

 ヒトラーなども神からの確信を受けたかのように振る舞い、その政治演説や著書『わが闘争』を通して自分が世を変えるかのように見せかけていたが、結局は「今が千年王国です」とのたまって第三帝国論を展開し、ユダヤ人虐殺の歴史的凶行に走った。
 ユダヤ領主ヘロデ・アグリッパ1世も、ローマ皇帝カリギュラの権勢をかさにきて同胞たちの上に君臨し、やはり演説で「人の声ではない、神の声だ」と礼賛されたが、その場で虫にかまれて死んだ。韓国カルト牧師たちもまた、このような存在なのである。

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