« 積極的内部告発 | トップページ | 人権侵害の様相 »

2009年12月 4日 (金)

忌まわしいこと

 非常に残念かつ忌まわしいことだが、韓国教会では、礼拝の特別賛美や賛美リードなどの奉仕者に対して、
「目立つためにやっている」
「自分の栄光を表そうとしている」
「前に立つばかりが賛美ではない」
「真に神様を礼拝していない」
「霊とまことによる礼拝者ではない」
などと非難・攻撃、誹謗中傷する一派が存在する。やはりこれも、古い感覚の高年齢層に多いようである。

 そういう輩も、自分に出番が回って来ると前に立って歌うのだから認識がおかしい。自分だけが敬虔な信仰者で神の栄光のためだけに賛美をしており、他の人間はそうではない、とでも言いたいのだろうか。自らの行いを吟味してみる必要がある。
 彼ら彼女らは、生ける神を賛美している人をそのように悪口雑言をもって批判している時点で、決して「敬虔」などという評価は受けられないと知るべきである。クリスチャンを名乗るなら、恥を知るべきなのだ。彼らは教会の毒麦に他ならない。

 遺憾ながら、高年齢層の「信者」や「伝道者」「牧師」らに見られる賛美への関わり方は、非常に間違っており、極めて歪んでいる場合が多い。彼らは好んで他者を批判してストレスを解消し、それをもって何か自分が偉くなったかに思うらしい。
 そういう傾向は、韓国系の教会に多い。「牧師」までがそうなのだから話にならない。神を賛美している人間を批判・誹謗するという感性・人間性が理解できない。彼らはクリスチャンを自称して教会まで経営しているが、神を恐れないようである。

 また、極めて神聖で平和であるはずの聖歌隊室で、自分の嗜好や主義主張通りにならないとすぐに大声を出して他人を攻撃する「執事」などもいるらしい。人が礼拝活動に専念して無防備になっている時に、まったく公序良俗に反することである。
 そのように他人を非難・中傷する連中こそ、「自分の栄光を表して目立とうとして」おり、「真に神様を霊とまことによって礼拝していない」不逞の輩というべきである。そのような連中が、「牧師」だの「伝道者」だのと名乗っていてはならない。

 自称伝道者がそのように他人を攻撃しながら自分も集会で「賛美」をしていたり、「聖歌委員長」が賛美奉仕者に対して罵詈雑言を吐いていたりする「教会」は、汚された泉のようなものである。彼らに対しては詩篇59篇6節がふさわしいであろう。
 彼らこそ、神に栄光を帰するためでも福音宣教のためでもなく、ただ自己の嫉妬心や復讐心の充足のためにうわべで「賛美」に関わっており、彼らを駒にしている権力者も、教団の拡大と権勢の増強のために「賛美」を利用したいだけではなかろうか。

« 積極的内部告発 | トップページ | 人権侵害の様相 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 積極的内部告発 | トップページ | 人権侵害の様相 »

無料ブログはココログ